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「文学作品の本を読む」
「美術館に行って作品を鑑賞する」
「好奇心から未知の領域を学ぶ」
というわたしにとっての日常の営みが、

「教養がある」
「教養を深める」
「教養を身につける」

というフレーズと結びつけられやすいなぁ、と思いながら生きてきた。
フレーズ自体はニュートラルなものだが、文脈によっては、「(知ら)ないと恥ずかしいもの」というニュアンスが感じ取れ、心がチリッとする。
言われるときも、使われているのを聞くときも、思わず自分で使ってしまうときも。

人を育み、人と共有可能な、とてもひらかれたものであるはずなのだけれど、なぜそうなるのだろう。
いや、そもそも、「教養とはなんぞ?」

この問いは、鑑賞の場づくりに携わる身である以上、避けて通れないものだ。
腰を据えて考えてみたいと思い、一年ほどこの問いを転がしながら過ごしてきた。

きのうふとしたきっかけから、つるりと答えが出てきた。
今のところのわたしの答えとしてはこのようなものだ。

教養とは、
人間が思考し、考察を深める過程で、参照・準拠することによって、他の人間に資する新たな可能性を生み出すきっかけや土台、分野を超えてハブとなる、確立された知識体系、学問、またはそれを組み込んだ文化や芸術を指す。それらのうちで特に、批判(物事に様々な方面から検討を加えて、判定や評価を下す行い)や研究の対象にされながら、一定の経年(時代の波に洗われる)にも耐えて残ってきたものを「教養」と呼ぶ。

教養を身につけるとは、
自分の感覚・思考を、他者に伝えたり表現する際に、過去に驚嘆や好奇の強い実感を伴って得た知識や育まれた知見として、教養を参照したり引用できる状態にすること。実践を通して成るもの。

教養を深めるとは、
身につけた教養をもって、自らが打ち立てた体系に新たな光を当て、この世界の事象・事物との関係を創造し、更新し続けること。

よって、この定義もどんどん更新していきたいと思う。

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