鑑賞体験の表現で目指していること
わたしは音声や動画、ブログ記事などで鑑賞体験を発信しています。
ひととびラジオ:https://note.com/hitotobi/m/mcecbf3c67932
ブログ『ひととび〜人と美の表現活動研究室』:http://hitotobi.hatenadiary.jp/
番組内で、「これは情報番組ではなく、感想パフォーマンス」と言っているのは、次のような思いがあるからです。
わたしが表現しているのは、
- 学ぶとは何か
- 鑑賞をひらく、鑑賞の新しい形とは何か
- 人はどのように自分の関心をどう掘り下げていくのか
- 個人の動機・ルーツに関連しながらどのように自分の探究テーマを見出すか
- どう調べたらいいか
- 探究の結果、どのようなことが起こるのか
の事例です。
これらを体験することは、鑑賞対話の場をつくるファシリテーターにとって必要な道のりです。
なくても場は成立しますが、鑑賞対話ファシリテーターが目指すものがより深いとき、より本質に近づきたいものであるとき、通らざるを得ないと考えています。
また、その過程を表現することこそも、鑑賞対話ファシリテーターの仕事です。
わたしは鑑賞対象のどれをとっても専門家ではありません。
逆に専門家にはできないことを仕事にしています。
それは、「公」と「私」のあいだの「共」に立ち、橋をかけていくこと。
そのためには、自分自身が橋を渡る経験をすること、それを見せていくことが重要だと考えています。
個人的な好奇心や関心を動力に、あやふやさや仮説を常に抱きながら、探究・探求し続ける者であることを目指しています。
また、この表現自体も換金の対象となるよう、精度を上げたり、媒体やパートナーを検討していきます。
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